・吉野家の牛丼を流行らせたのはキン肉マンか華原朋美か検証では、いいともでの華原発言の方が先で
その後に丼を贈呈されたことから
先に流行らせたのは華原で、その後丼を寄贈した時点では
吉野家がキン肉マンに対する感謝を忘れていない
また、華原発言が先だから、流行に先に貢献したのは華原
という意味のことが書いてありました。
これは単純に、ゆで先生がいいともでの華原発言を
ご存じなかった可能性もあるかと思うのです。
私も今回はじめて知りました。
いいともは嫌いなので普段見ていません。
あと、丼の寄贈は華原発言より後ですが
それより前、80年代にスグルがいっぱい牛丼を作中で食べていたことも事実です。
それが全然貢献していなかったわけではないと思うのです。
華原発言を知らない肉ファンもいるでしょうし
キン肉マンを読んでいない華原ファンだっているでしょう。
どちらが流行らせたか、については
どちらも流行に貢献した、でいいのでは、と、私は思うのです。
「女子中高生が華原発言で牛丼が好きになった」
「キン肉マン読者の少年たちがキン肉マンを見て牛丼が好きになった」
両立してもいいのではないでしょうか。
勝ち負けをつける必要ってあるのでしょうか。
それについては私ではなくてゆで先生が決めることかもしれません。
・丼にタダで食べられる効果はあったのかコミックス帯でゆで先生が
「タダで食べられるようになりませんかね~」と書いていた
つまり、吉野家側ではそれを想定していなかったのに
先生が勝手に思い込んだ、という反論でしたが
これについてはどうなのでしょうか。
トリビア放映後に吉野家がゆで先生に謝罪に行った、とあります。
もし吉野家が悪くなく、先生がカンチガイしていたのなら
吉野家は何を謝りに行ったのでしょうか。
それについては当事者しか分からないことです。
なので私には「言った」「言わない」の話について
論じることはできません。
これを糾弾することができるのは吉野家だけではないでしょうか。
嶋田先生はご自身のブログで
「タダにならなかったこと」を怒っていたわけではありません。
むしろ、その後謝罪に来た吉野屋が
キン肉マンやゆで先生のことについてあまりにも無知だったことで
私たちファンの気持ちを思って怒ったのです。
・作品中でモデルにされたお店はなか卯か吉野家かどっちも書いてあるし、どっちもでいいのではないでしょうか。
私だって吉野家に前は行っていましたしすき家にも行きます。
スグルが牛丼屋さんを数軒まわったっていいんじゃないでしょうか。
アニメ放映時より前にコミックスに吉野家の描写があったことについて
頼まれる前に描いていたって不思議はないと思うのですけど。
・吉野家は不義理かどうか吉野家のパーティに招かれた、と、コミックス帯に書いてありました。
(タダにはならなかったけれど)丼だって贈呈されました。
先生はそれについて感謝をしていると思いますし
吉野家もその時点では先生に感謝をしていたはずです。
ただ先生が触れた吉野家関係者が無礼で無知だったことと
企業としての対応が杜撰だったことで
吉野家への評価が下がったのではないでしょうか。
見返りを期待して描いたかどうかについては私には分かりません。
ただ、影響力があることは自覚しておられる様子なので
ゼロではないかもしれません。
でもそれって別に悪くないのではないでしょうか。
同じように作中に出てきた森永については
森永とゆでたまご先生はいい関係を築いていますし。番組での非礼に対する謝罪のときにきちんと説明するとか
丼渡すときにきちんと丼について誤解のないように説明するとか
謝罪の時には事情が分かる人間を派遣するとか
きちんと感謝を示すとか
そういうことができていれば、もっと違った結末になったと思います。
もったいないです。残念です。
私はこの件
より前に吉野家の接客と味の低下にげんなりして
吉野家に行くのをやめました。
もちろん吉野家が好きな人もいますしそれを否定はしません。
吉野家が先生に対して誠意ある対応をしたか、と聞かれたら
してないように見えます。
現に先生は気分を害しておられるのです。
カンチガイもあるかもしれないけれど
実際の対応に気分を害されたのは確かです。
それだけでも不義理だと言わざるをえないのではないでしょうか。
数年前のBSE騒ぎのときの吉野家の対応は
こんな感じでした。
いくら味がおいしくたって、食べ物を出している以上
お客様の健康を思いやる気持ちのかけらもない発言をするのはどうかと思うのです。
文章力のなさが悔やまれます。
言いたいことはほとんど伝えられていませんが
長々と書いてもうまく伝えられる自信がないのでここでやめておきます。
最後に。
ファンは信者ではないと思います。
吉野家のファン、キン肉マンのファン、どちらにも言えることだと思うのですが
妄信的に信じるのではなく、悪いところは悪いと指摘し
自分の中で相手のことが好きであることに誇りを持ち続けたい
私はそう思っています。
好きだから何をしても許せる、というのは違うと思います。
うまく言えないけど、そう思うのです。